運営地域を愛するプロ集団SC相模原の運営
1741分の57。
日本の全市町村に対するプロサッカーチームの割合だ。
1993年に10チームで産声をあげた日本プロサッカーリーグ=Jリーグは、2018年には57チーム(J1・18チーム、J2・22チーム、J3・17チーム)が鎬(しのぎ)を削っている。2018年の日本の市区町村数が1741だから、約30の自治体に一つ、プロサッカーチームがあるいう計算だ。
この数字が多いか少ないかというと、「日本の空港の数が82か所」だから意外と少ない数字なのかもしれない。
相模原市にはプロサッカーチームがある。
2008年に発足したSC相模原(代表:望月 重良)が2014年シーズンからJ3に昇格して、つまりプロサッカーチームとなり相模原市は「全国の市区町村で約30分の1」となったのだ。
日本全国でもあまりない自治体へと「昇格した」相模原。しかし、相模原市民の多くが「SC相模原」というチームの「構成内容」を半分くらいしか知らないのかもしれない。
ホームスタジアム・相模原ギオンスタジアムでSC相模原選手たちが縦横無尽に駆け回る。
サポーターが大旗を振り、大声をあげ選手のゴールを待ちわびる。
その華々しい姿は知っている。
その姿を支える「裏方」の存在までに目を向けることはほとんどない。
SC相模原・営業部長、鈴木雄二郎さん。
相模原市出身。39歳。

「サッカーチームの営業」という裏方の仕事から、地方都市におけるスポーツチームの存在を見ていきたい。
―鈴木さんのSC相模原での仕事内容
鈴木:営業担当として、スポンサー集めを一年中一日中やっています。SC相模原を担当するのは今年で3年目ですが、練習場で選手を見ることなどほとんどありません。試合中もスポンサー対応が主で、あまり試合を見ることができません(笑)
―サッカー経験はありますか?
鈴木:サッカーは昔から好きでしたが、競技としては遊び程度でした(笑)
高校で所属したサッカー部は「12対0」で負けるくらい弱いチームで、
大学で所属したサッカーサークルも、大学内では複数あるサッカーサークルの中で一番弱いサッカーチームでした。
―プロサッカーチーム・SC相模原で仕事をするきっかけは?
鈴木:大学卒業後はスポーツに関係ない一般企業に就職しました。そこである程度の出世はしたのですが、晩年までその会社にいるつもりはありませんでしたし、かといって会社を辞めてまでやりたいことは特にありませんでした。

そんな時に、当時住んでいた場所の近くにJリーグチームに妻がはまって。私自身はサッカーへの興味は薄れていたのですが、そこからまたサッカーを見るようになりました。
そうすると、サッカーそのものも面白いのですが、そのサッカーチームが行っている「地域密着」の姿勢に興味が湧いてきました。地元商店街にそのチームのポスターやフラッグがあって、選手も常に地元のイベントに参加をする。そうすることによりチームのある街のイメージが大きく変わっていく。
サッカーによるまちづくり。
そういうのも面白いな、と思うようになってきました。
そこで自分の出身地「相模原」にそれを当てはめてみました。神奈川の中でも「なにもない街」というマイナスイメージが強く、自分の中でもそれが悔しくて、サッカーで相模原のイメージを変えていけないかと思い、次の就職先にSC相模原を選びました。他の就職先は考えていませんでした。
熱い思いで鈴木さんがSC相模原へ「移籍」した2年前の2016年。
発足から8年目をむかえたSC相模原は、2014年にJ3リーグに参戦。プロサッカーチームの一歩を踏み出したばかりであった。まだ相模原市にも根が浅いスポーツチームでの未経験の「営業」という仕事。苦労が絶えなかったようだ。
鈴木:とにかく大変でした(笑)。なにをどうすればいいのかわからない。
現在のスポンサーはほぼ8割が相模原市内ですが、スポーツチームやプロサッカーチームを広告として見てくれる企業にユニホームスポンサーや提供試合などを売り込んでいくこととなります。そういう企業があれば相模原市外へも営業にいきます。
基本的には前職サラリーマンと同じですが、大きく違うのは「人の目に触れる」ということです。スポーツチームという特性もあるし、スタッフも少ないので、選手ではない裏方職でもイベントや試合では常にチームの一員として、大勢の前に出なくてはいけない。明確な「裏方」がない。それが違いました。
―営業としてSC相模原のどこを企業にアピールしますか?
鈴木:地元・相模原のチーム、ということを強くアピールします。
スポンサーは意外とサッカーに詳しい企業や人は少なく、J3というカテゴリーでは広告として大きな反響が得られることを期待している企業は少ないかもしれません。
ただ、「サッカーチーム」としてではなく「地域の貢献」「地域活性化」として見てもらうようにしています。SC相模原がこれから相模原市やその近郊を盛り上げるツールとして成長する手助けをしてもらいたい。
「サッカーの話」より「相模原市が盛り上がるためにどうすればいいのか」とか、「SC相模原を使って相模原市でなにかできないか」という話をするスポンサーが多いです。チームの成績はあんまり関係ないみたいです(笑)。
SC相模原のパンフレットやユニフォームに名前が出ているチームは「地域活性化」に一役買っている表れである、と思ってもらいたいです
―スポーツチームが地域にできることとは
鈴木:地域のアイコンになれることですね。
例えば、「相模原出身です」と言ったときに、県外や遠い地域の人が「あ、SC相模原があるところだね」と捉えてもらえるような。
スポーツチームはその地域を表す存在になれます。
SC相模原は、まだまだその存在になれていない。その存在になれるためにはどうしたらいいか。当然「チームの強さ」は必要だけど、僕たち裏方のスタッフやフロントがどれだけ地域にチームを溶け込めるかという努力も必要だと思います。

SC相模原は2018年10月上旬現在、J3リーグにおいて17チーム中11位と苦戦している。
このどん底から見据えるチームの未来がある。
その目標は鈴木さんの名刺にも大きく書かれている
「2027年J1昇格」。
相模原市がリニア中央新幹線開通の年に、相模原市のもう一つ大きな「アイコン」となる
ことがSC相模原の大きな目標だ。
当然ながら今以上に戦力をあげていかなくてはならないからこそ、鈴木さんの「営業力」
も必要だ。
また、J1ライセンス取得のためのスタジアム改修や練習場の設置など、越えなくてはい
けない壁がある。それは、チームだけでは越えられず、地域とともに越えなくてはいけない壁だ。そのためにも、SC相模原はより地域と密着していく。「地域力」を一番の戦力とするために。
鈴木:SC相模原の地元密着度はまだまだ足りません。もっと人に街に浸透していきたい。
「サッカーにあまり興味はないけどSC相模原の試合は見たい」
「相模原市といえばSC相模原だよね」
そこまでいくことが目標だし、そこまでいけると思います。
10年後、相模原市が「行政」「商業」「工業」、そして、「スポーツ」がある場所として、
他の地域にも誇れる街になるためにもチームを様々な面であげていきたい。
SC相模原の胸のエンブレムには5つの星がある。
その星には一つ一つに意味がある。
「相模原」「津久井」「城山」「相模湖」「藤野」。
SC相模原が誕生した2年後2010年に、相模原市は政令市となった。
「新しく合併した5つの地域を一つに団結する存在となりたい」
5つの星に込められた想いだ。
地域のために生まれ
地域のために育つ
プロサッカーチーム・SC相模原
それを支えている裏方・フロントも地域を愛するプロ集団であった。
相模原市の存在を「1741分の57」から「1741分の1」にするために
鈴木さんは今日も相模原の街をかけていく。